吠えてないで噛み付きなよ。

黒博物館についてのあれこれ

 前置きの前置き

 この記事は読み手が『黒博物館 スプリンガルド』『黒博物館 ゴーストアンドレディ』を読んでることを前提に書いています。読んでない人に1から説明をするのは面倒くさいのと、ネタバレに配慮しながら書くのが面倒くさいからです。面倒くさい2回言った。でも一応わかるようには書きます。

はじめに

 「なんで放置してんの?」って言われたんだけど、別に放置してるわけではなく、単純にTwitterで事足りるからこっちに来てないだけなんすよ。

 まああと、何の意味もない日常のあれこれはTwitterでよくね?って感覚が俺の中にはあって、なので特別なことが起こらないとここに書こうと思わないんですよ。読んでる方も「きょうはちーずけーきをたべました」みたいな記事読んでもクソの役にも立たないじゃないすか。ちなみにチーズケーキはここ数年食べていません。無意味な嘘。俺は偽りに塗れた男…。

 じゃあ今日はなんかあったのかって話ですが、これを買いました。

 

 

 

 

 

  うしとらアニメ化?今更?でおなじみ藤田和日郎先生の新刊です。藤田和日郎は何くりサーカスとか○光条例とか長編のイメージがたぶん強いんだろーなーと思うんですけど、短編も良いです。というか、長編だとこの人は風呂敷をゆっくりゆっくり広げてズバババーン!と勢い良く畳みだしたはいいものの最後ちょっと畳み方歪んでるよね、これはお義母さんに怒られちゃうわ、なんだい最近の嫁は風呂敷も畳めないのかい!みたいな感じになりがちな気がするんですが(ごめんなさい)、短編だと残り話数的な問題で早めに風呂敷を広げなきゃいけないという制約があるせいか風呂敷ズババーン!と広げてズバババババーン!と畳んでくれるので、長編なら残り5巻ぐらいの所でようやく顔を出す藤田漫画のカタルシスがたった2巻で楽しめるという、これはもう最高なのではないか、「最」の「高」なのではないか、と思う次第です。邪眼は月輪に飛ぶとかも面白いよ。

 

で、この漫画がどう最高なのかは、もう読んでくれとしか言えないので書きませんけど、1回目読んでちょっと疑問に思ったことがあるんですよね。それについて書きます。ここからネタバレし散らかすのでみんな気をつけていこうな。

 

なぜ〈灰色の服の男〉は愛するものと共に行かないのか

 疑問に思ったのは、クライマックスで、

「なんでグレイはフローと一緒に天国に行かないの?」

ってことなんですよね。てめえこのやろうフローがあんな顔して「私一人じゃ…嫌…!」っつってんのに何が「まだ見たい芝居がある」だああ!?しばくぞコラ!ぐらいのテンションで読んでたんですけど、よくよく考えると当たり前のことなんですよね。「グレイは良い芝居を見たいだけであり、愛に殉じるキャラクターではないから」なんですよね。これがめんどくさいというか、本編中だと四六時中グレイとフローがいちゃいちゃいちゃいちゃラブがコメしてるんで忘れるんですよね。ニ○コイよりよっぽどラブがコメってたぜ。いや、フローはたぶんグレイを愛していたし、グレイもフローを愛していたかもしれないけれど、彼女とどこまでも共に行くような男ではないのです。精神構造がそうなっていない。

 なんかフローは天国に行くけどグレイは地獄に行っちゃうから会えないみたいなことを某巨大掲示板でちらっと見たりしたんですけど、グレイはたとえあの時天国に行けたとしても、フローと一緒には行かないと思うんですよ。なぜなら「まだ見たい芝居があるから」

グレイの人格形成

 グレイには愛する舞台女優、シャーロットと駆け落ちしようとして失敗した経験があります(そしてそれが元で死にます)。ここが微妙にぼかされた書き方なので、普通に心変わりされたのか、パトロンの「男爵」が勝手にあの男の娘の殺し屋を雇ったのかちょっとわかんない(個人的には後者じゃないかなーと思う)ですが、とにかくそれをきっかけにグレイは変わります。生前の駆け落ちを「オレなんかが絶対につかめねえ夢」と言い、「ここに座っていればいろんな夢が見られる」から劇場に住みつき、いつかまたシャーロットに会える日を夢見ながら芝居を見続ける幽霊となったのでした。グレイにとって生前目指したような「熱い」思いは所詮夢であり、手慰みに見るものではあっても自分が勝ち取るものではなかった(自分が得ることはできないものだった)わけです。換言すれば、物語開始当初のグレイは現実に絶望しきっている。

 グレイの時間は殺された時で止まっています。前に進もうとしてないわけです。藤田漫画によくあるパターンですね。というか完全にとらとヒョウさんを足して2で割ってケレン味を足したみたいな感じですね。ところが「熱い一人舞台」を演じるフローと出会ったことでグレイの時間は再び動き始めます。夢を追い求められるのは芝居の中だけだと思っていた。でもこの女は何かが違う。現実の世界にもこんな奴が居るのか。その思いはボブに「あのお方は人を絶対に裏切らない」と言われたことで確信へと変わります。

 ただ、だからといって、フローがグレイにとっての恋愛対象になったわけではないんですよね。グレイはあくまで今まで舞台の上でしか見られないと思っていたモノを現実でぶちかますフローをもっと見たいからフローに憑いてるわけであって、フローを愛しているから憑いてるわけではない。

 要するにグレイがフローを護るのは、舞台の上の贔屓の女優がやられそうになったら観客席からドタドタ走ってきて悪役をぶちのめしてるみたいなもんで、ヒーローショーを見てる子どもが「ウ○トラマン負けるなー!」って言ってるのと本質的には同じなんですよね。だから成熟した恋愛関係というか、「一生添い遂げる」みたいなベクトルには行かないわけですよ。

 もっと言うと、シャーロットに一度裏切られた(少なくともグレイの主観では)自分には舞台の上に上がる資格はない、と思い込んでいるから、フローと添い遂げるという選択肢がグレイの頭には昇らなかったのかもしれない。最終決戦の時の「幽霊はただ見てるだけだ」っていう台詞はそういうことなのかなと思っていて、確かに現実でも熱い思いを力に変える、芝居の登場人物のような「熱い」奴はいるけれど、死んだ自分はただそれを観測するしかない、みたいなある種の諦観というか、そういったものがグレイの根底には流れてるような気がします。「だから弱っちくてキレエなんだよ…人間は…」ってやつですね。またうしとらに絡めてしまった。ゆうてアンタ、ストーリーに絡みまくってるけどな。ガツガツ舞台に口出してるけどな。まあこまけえことはいいんだよ!

おわりに

 生前のトラウマ、熱い思いを形にできる生きている人間への羨望、そういった色々が綯い交ぜになった結果が、「まだ見たい芝居がある」から「オレは行けねえんだな」なのかなあと思う次第です。そう考えると、フローと一緒に天国に行かないのも自然かなと。フローもそれを十分に分かっていて、でもそれでも一緒にいたいという感情を抑えきれないまま、その結果が「バカ…」という一言、そうだったらいいなっていうお話でした。

 まあつまり何が言いたいかっていうと、ヒロインが昨今の量産萌えアニメより114514倍可愛いので、この漫画を全人類は買えってことが言いたいのでした。でも残念だったな!某大学生協のショップ○ネの分は俺が買ったからな!バーカバーカ!あと藤田漫画は平成仮面ライダーと同じで、初めつまんねと思っても風呂敷畳み出したら途端に面白くなるっていうタイプの作品なので、最初は我慢して読め。面白くなるから。剣も途中から面白くなったやん?「お前に俺の時間は…止められない!」とか最高やん?まあこの話はいいや。藤田漫画の絵が嫌いとかいう奴は知らん。あるるかんに切り刻まれればいいんじゃない?

おしまい。