吠えてないで噛み付きなよ。

2017.09.26

 夜を徹して映画を3本見た後に2日間続けて寝続けるという悪行を犯した後は人間誰しも謙虚になるもので、普段は露ほども思わない「このままではいけない」という感情が頭をもたげてきたためにきちんと午前中に目覚めることができた。幸先が良いので日記を書き始めようと思う。

 

 まずは夜を徹して映画を見るために借りてきたプロジェクターを返して(本当は昨日返却しなければいけなかったのだがいかんせん寝続けていたのでそれは不可能だった)、ジムに行って(寝続けていたのでたいへんに筋肉が衰えていた)帰ってくるとまだ10時を少し過ぎたほどであった。

 午前中に目覚めると一日というやつはこんなに長いのか、だいたい8時間ぐらいで人間の睡眠は充分らしいが可処分時間が16時間もあっていったい世に遍く存在する諸兄に於かれましてはいかがお過ごしでしょうか、こっそり一日が4時間ぐらい減っても案外皆様やっていけるのではないですか、効率化というやつが皆さんお好きでしょう。

 

 子どもの頃から計画通り物事がいった例がなく(計画通り物事がいっていれば今頃私は結婚していたはずである)、自分のペースがたまたま世間様のペースに合っていたから今大学院生の真似事なぞをやっているが、元来自分に計画通り自分を律して行動していくということができるわけがなくつまりは「夏休み中に読むぞお」と思っていた本がローテーブルの上で埃を被っていたので、それを片付けることにした。

 どうやら人間の意識をコンピュータ上でエミュレートできるようになるのはまだ先らしいこと、男女の認知能力には統計的には有意な差が認められるがそれが職業上の差異を肯定するに足るかは結局のところ解釈に委ねられること、ミシェル・ウエルベックの皮肉たっぷりな筆致が自分に合っているらしいことを確認して満足したので本を図書館に返しに行った。夏休み終わりの図書館には全くといっていいほど人がおらず、本の背表紙には蜘蛛がのろのろと這っていて、ただDVD閲覧コーナーにまばらながら学生がいた。

 ディスプレイされた映像ソフトを見ながら「図書館で『ファニー・ゲーム』を見ようとは思わないなあ」と思った。図書館の平和ではあるが茫とした様子はサスペンスには全く似つかわしくなく、ここにいるとこちらまで頭がぼんやりとしてきそうな気がした。とはいえ、こういうぼんやりとした所に突然暴力が侵入してきて後ろから頭を殴りつけてくるのはいかにもハネケ的で案外悪くないのかもしれないと思い直して、帰りに『素粒子』を借りて帰った。

 

 意味内容ごとに段落分けをしようとしている自分に気づいて気分が悪くなった。こんな所にまで職業病を持ち込みたくはないと思っていたはずだったが、段落分けすると確かに読みやすくなっているなあと感じている自分に気づいて、文章に対する感覚が変わってしまったのだなあと悲しくなった。人間は変わっていってしまう。ジェドとオルガは展覧会の後に再会したが、結局それきり会うことはない。ある点を過ぎればその前に戻ることはできない。それは再生できない。突然mtgのテキストみたいになってしまったが、カードゲームのほうが案外人生よりも複雑かもしれなかった。デッキに逆転のカードが残っていればまだ勝ちの目があるが、人生において逆転のカードが残っている可能性はどれほどあるのだろう、自分には残っているだろうか。