吠えてないで噛み付きなよ。

君は『カゲロウ山登り』を見たか?

 『コブラ』という漫画がある。

 はるか未来、人類が自家用宇宙船で外惑星に行くことが可能となった時代……。

 貿易会社に勤め、平凡な日々を過ごすサラリーマンのジョンソンは、退屈しのぎにT.M.株式会社のアミューズメントを体験する。脳に信号を与えて夢を見させるトリップ・ムービーの中には左腕にサイコガンを持つ海賊コブラが登場、波乱万丈のストーリーは最後に主人公が海賊ギルドに追われ賞金首となり姿を消したところで終わった。満足したジョンソンはT.M.社の担当に自分の夢の概要を語ると共に礼を言うが、担当は、ジョンソンが見た「夢」はプログラムしたトリップ・ムービーの内容とは異なっていると首をひねる。

 帰路についたジョンソンだが偶然の事故で夢の中に登場した海賊バイケンとそっくりな男と出会い、バイケンの名を口にしたため殺されかける。その瞬間、自分の左手が銃に化けて撃ち倒し、危機から逃れた。彼は、自分が本物のコブラであること、血なまぐさい過去から逃れるため記憶を消し顔を整形し、世間にはコブラは死んだことにし、数年前から別の人生を送っていたことを思い出していく。しかしサイコガンを見せたことでギルドには顔が割れてしまった。

 記憶と本能を呼び起こされた男は、相棒の女性型アーマロイド「レディ」と共に、スリリングで危険に満ちた人生に戻るため、宇宙へ飛び出していく。

コブラ (漫画) - Wikipedia

  コブラという作品が語られる際、主として主人公コブラの洋画の主人公のような独特の台詞回しが(時として過剰に)クローズアップされるように思う*1。そして、このような軽妙洒脱なキャラクターであるという印象から、コブラのことを「基本的には三枚目であり、日頃から軽口を叩きおちゃらけた言動を見せるものの、いざという時には力を発揮する男」だと認識している諸氏も多いのではなかろうかと想像する。

 そうお前だ、今日はお前のその眠たい面をひっぱたきに来たのさ。

 

  『コブラ』の中に『カゲロウ山登り』というエピソードがある。私にはこの話が最もコブラというキャラクターを的確に説明しているように思えてならない。

 『カゲロウ山登り』のあらすじはこうだ。

 

 金塊を積んだ旅客機がある山の頂に墜落した。その山の名は「カゲロウ山」といい、見る者がそこにあると信じれば山はあるが、信じ切れなければ即座に消えてしまうという山であった*2。お尋ね者レオ、爆弾魔マウス姉弟、マフィアのリンダと護衛フランク、神父セバスチャン、ネイティブ・アメリカン*3ジェロニモがカゲロウ山へと向かう中、一団の中にはコブラの姿もあった。

  話はこう進んでいく。 

 金塊を求めて山へ登った者たちは、険しい山道で次第に疑心暗鬼に駆られていく。「金塊なんて本当にあるのか」「伝聞だけで何も証拠はないじゃないか」「そもそもこの山だって本当にあるのか」…そう思った瞬間に山は消え、次々と谷底へ落下する登山者たち。

 最終的に山頂へ辿り着いたのは神父セバスチャン、ジェロニモコブラの3人。実はセバスチャンは神父ではなく、金塊を積んだ飛行機を爆破して墜落させた張本人だった。金塊の存在を確信していたからこそ、カゲロウ山を登り切ることができたのだ。セバスチャンは金塊を独り占めするためコブラジェロニモを殺そうとするが、コブラの左腕のサイコガンがこれを阻む。セバスチャンは谷底へ落下していった。

 コブラジェロニモは金塊を求めてカゲロウ山へ登ったわけではなかった。

 ジェロニモは、試練としてカゲロウ山へ挑んだ、一族の長である父ロングホーンの生死を確認するためにカゲロウ山へ登った。一族の者は、ロングホーンが帰ってこないことから、長は試練から逃げ出したのだと陰口を叩いたが、彼は高潔な父がそのようなことをするはずがないと信じていたのだ*4

 ではコブラはなぜカゲロウ山へ登ることを決め、そして山頂まで辿り着くことができたのか?

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コブラ カゲロウ山登り』より

 旅客機にはコブラの相棒であるアーマロイド・レディが乗っていた。コブラはレディを助けるためにカゲロウ山へと挑んだのであり、金塊の有無など始めからどうでもよかったのである。

 …と、ここまでならコブラの言動はよくあるハリウッドムービー主人公的な振る舞いである。そりゃカッコいいのはカッコいいですけど、そこまで言うほどのことか?とお思いの諸氏もいることだろう。

 しかし、コブラの精神性が真に現れるのはこの後のシーンである。  

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コブラ カゲロウ山登り』 より

 コブラはレディに「この山は本当にあると思うか」と問いかける。これは奇妙な問いである*5。なぜなら、コブラにとってはレディを助けることこそが重要であったということが、これまでのストーリーで示されているからである。コブラはカゲロウ山の存在を疑っていないのではなかったのか(カゲロウ山の存在を確信していないのなら、なぜカゲロウ山を登り切ることができたのか)。

 この問いの意味はすぐ後の会話で明らかになる。「山は山だわ」*6と言ったレディに対し、コブラはこう答える。

 「そうだな きみがあると信じていりゃ それでいいのさ」

 この台詞からわかるのは、コブラは金塊の有無だけではなく、カゲロウ山が本当に存在するかどうかも問題視していない(したがって、カゲロウ山の存在を自分から能動的に確信しているわけではない)ということである。コブラ個人としては、あくまで「レディがこの山に実際にいて、あるって言うんだから、あるんだろうぜ」程度の心証しか抱いていないのである。

 前述の通り、カゲロウ山はその存在を信じなければ消えてしまう山である。こんな山に登る際に、その存在について曖昧にしたまま登ることを決心できる者がどれだけいるだろうか。この意味でコブラは自分の生殺与奪をレディに委ねている。「レディがいる」というその一点だけで、本当に存在するかどうかも不確かな山に登ることを決め、実際にやってのける男なのである。

 これを「三枚目」とどうして言えようか。コブラは愛のために死ぬ覚悟をその辺のコンビニに行くぐらいの感覚で決めてしまう男なのである(もちろん、それは相手がレディだから*7ということはあるが)。

 この話を読む度、私は真の愛に殉ずる男の尊さに震えるとともに、自分にとってのレディを見つけなければならないと思うのです。案外、それこそが人生の最も重要な目的かもしれないですよ。皆さんはどうなんですか?Tinderとかで適当に引っ掛けた女の子を食い散らかしていますか?そんな不逞の輩はたちまち谷底へ真っ逆さまですよ。真摯に人生を生きろ。名前を聞かれたら「カリフォルニアドリーム」と答えろ。目の前でキレてる奴には「腹を立てるとなにをするんだ?ウサギと ワルツでも踊るのか」と言ってやれ。あとは毎朝朝食にコーンフレークを山盛り二杯食べれば完璧です。私はグラノーラ派なんですけどね。グラノーラのドライフルーツ食べてる時口の中にひっつくの何とかならないんですかね。こんなことを気にしているようでは宇宙海賊コブラに追いつく日は遠そう。

 


Space Cobra スペースコブラ 1982 BD OP

孤独な Silhouette 動き出せば それは まぎれもなく ヤツさ

*1:ヒューッ!とは (ヒューッとは) [単語記事] - ニコニコ大百科参照

*2:登っている途中でも、少しでも山の存在を疑えば山は消え、疑った者は奈落の底に落ちてしまう

*3:見た目は完全にネイティブ・アメリカンなんだが、そもそもコブラの時代にアメリカが存在しているかはわからない

*4:事実、カゲロウ山で力尽きたロングホーンの遺体は山頂で氷漬けになっており、決して試練から逃げ出したわけではなかった。

*5:単なる修辞的な問いだろ?という話はここでは置いておく

*6:アニメでのここの演技は必見である。「何言ってるの、馬鹿なんだから」という感情が声色だけで表現されている。声優さんってすごい

*7:コブラとレディの出会いのエピソードである『タイム・ドライブ』を参照のこと。